大地の冬のなかまたち


1972年、樋口弘美監督。
日活児童映画の記念すべき第一作。当時、日活といえばロマンポルノで有名であった。1971年11月に日活撮影所児童映画室を発足させ、日活労組の協力のもと、企画、制作、公開までを一つのセクションで一貫して行う体制をつくった。キャッチフレーズは「限りない未来をもつ子どもたちのために」。

第一作を作るにあたり、500編近い児童図書の中から30編の候補に絞り、都内小、中学校の教員や保護者の意見を聞き、こうして選ばれたのが、後藤竜二原作のこの作品であった。

北海道富良野市を舞台として地元の子供たちを起用して作られた。テレビドラマ「北の国から」で富良野市が有名になるのは、この映画の9年後以降である。

開拓農家の四男坊サブの日記を通して、鉱山閉鎖や豊作貧乏に泣く農家の子供たちを描いたもので、主人公サブには、鶴本俊昭(富良野小6年)、友人和男には高塩浩司(同)、サブの兄に西出伴良(富良野高)、吉田宏(富良野西中)という顔ぶれ。完成度はともかくとして、素朴な味わいのある作品に仕上がっていた。

なお、日活児童映画室は、1978年から日活児童映画株式会社となり、1993年まで、全16作品を作った。
※写真を白黒からカラーに差替えました。(2011.12.11)



 

すばらしい松おじさん


1973年、酒井修監督。

昭和30年代、学校で巡回上映された東映教育映画の流れを継いだ作品であろう。1973年教育映画祭優秀作品賞を受賞した。

昔かたぎの大工の棟梁の松おじさん(ハナ肇)が主人公であるが、5年生の幹人(土屋信之)も同等に主役である。

父を航空機事故で亡くした幹人は、いたずらをしていて松おじさんと出会い、叱られる。

おじさんも息子を交通事故で亡くしたことが後で語られるが、子供たちを集めて工作教室をやっていて、子供たちも生き生きしている。幹人は松おじさんを父親のように慕い、勉強のことや生き方を学んでいく、そんな幹人の成長の物語である。

当時の下町に高層アパートが建ち並ぶ姿がよくわかる。今やこの映画のように大人と子供の出会いとか関係を築くのが難しい時代である。道を聞きたくて子供たちに声をかけると不審者のように思われるのは寂しい。また、テレビドラマにもこうした子供たちへの啓発的役割を果たすものはほとんどないと言ってもよいだろう。

幹人は6年生となるが、母の再婚話で大阪に引っ越さなければならなくなるが、幹人は反抗する。おじさんと別れるのがいやであるが、松おじさんはそこを突き放して、幹人に厳しくあたる。


ラストは、お涙ちょうだいにせず、幹人は引っ越しの車から、おじさんたちをながめ、自分を追い返した松おじさんの気持ちがわかるような気がしたと語る。新たな一歩を踏み出すところで終わる。



 

恋は緑の風の中


1974年、家城巳代治監督。

家城巳代治は独立プロで「異母兄弟」(1957)、「みんなわが子」(1963)などを作り、この作品の前には「ひとりっ子」(1969)としっかりとした映画づくりで人間を的確に描いた佳作が多いが、この映画は家城作品としては人間描写は物足りない。

思春期を題材とした映画は難しい。性を秘密めいなものとしてではなく、あっけらかんと描こうとしている。そのために作為的すぎるものとなってしまった。残念ながら人間が描けていないのである。

主人公の愛川純一(佐藤佑介)は中2で、風呂上がり全裸で居間でおどけたり、父(福田豊士)に性器の悩みを相談し、大きさを比べようなどと言ったりする。母(水野久美)にはベタベタし、キスをしたりして精神的乳離れができていない。

まずはこんな中学生の男の子がいるのか?開放的な家庭を表したかったのだろうが、嘘っぽく、空々しく感じるだけだ。監督夫人のいえきひさこの処女脚本というが、男の子の心理の理解は難しいのか。

純一に好意を感じ、彼も思いを寄せる青果店の松島雪子(原田美枝子)には生活感が感じられるが、ゆりという女の子(和気ますみ)が純一の家に遊びに来て「私の体あげる」などと唐突に言うのも、ありえない話である。

雪子の家の転居にかかわって、純一は家においてほしいとか、空き家に住まわせようとか、ままごとの延長のような…。


しらじらしさに満ちているので酷評ばかりとなってしまったが、佐藤佑介(1959年生まれ)と原田美枝子(1958年生まれ)の初々しさが救いである。ラスト、雨の中、川のこちらの岸に純一が、向こうの岸に雪子が立ち、互いに見つめあうシーンで、互いに思い出を心にもって別れを暗示して終わる。



 

ともだち


先生と三人組

1974年、澤田幸弘監督。

日活児童映画第二作で、1975年ベオグラード国際児童映画祭グランプリ受賞作。

川崎市を舞台にしており、高度成長を支えた京浜工業地帯は公害という副産物もあった。川崎大師も出てくる。

主人公は6年生の新太(阿部仁志)、サッカーが大好きで、清掃中もボールがあれば蹴って遊び、先生(地井武男)に仮病を言ってまで遊んでいる。勉強はあまり…のようだ。二人の親友と廃バスを秘密基地にしている。

新太のクラスに岩手から転校してきた斉藤良子(鈴木典子)がいて、喘息にかかり、体育を休んだりしている。新太は最初良子を毛嫌いしていたが、一人ぼっちでリスのチーコと遊ぶ良子に気を使うようになる。

サッカーのキックの練習にキーパーをやってもらったりして、心を通わせていく。新太が寝込んでいるときに良子はチーコを持ってきて、お見舞いにくれる。

そんな良子も家庭の事情でまた転校することになるが、後日先生から亡くなったことを知らされる。新太は心が落ち着かず、泣いてしまう。家族で浜辺に行った時、チーコをカゴから出してあげる。

友だちとは何か、相手の立場に立ってあげる思いやりとは何かを新太は学び、それが糧となって今後の成長が期待できる。

姉と新太             店員と新太            良子(手前左)

この作品で思わぬ発見があり、新太の姉役として原田美枝子が、店員役に松田優作が出演しており、いずれも映画出演駆け出しの頃で、貴重である。



 

アフリカの鳥


1975年、磯見忠彦監督。

日活児童映画の第三作で、勝目貴久の脚本がすばらしく、また磯見忠彦の確かな演出でしっかりとした力作に仕上がっていた。

主人公は小学校5年生の強(神谷正浩)で、友人の徹(染谷利貴)は塾通いで忙しい。遊びたいさかりであるが足並みが揃わない。

ある日、強は野鳥を観察している青年と出会い、アフリカの鳥がここにもやって来ることを知り興味をもつ。観察記録を「アフリカの鳥通信」にまとめ徹に届ける。その青年は趣味のために英語を学び、原書を読めることにも強は感銘を受ける。

しかし、「アフリカの鳥通信」は、勉強の邪魔だと母から徹に渡ることはなかった。徹はだんだんとわがままになり、うまくいかないと人のせいにしたりする。

徹のおじいさん(加藤嘉)が大きな存在である。毎日土手の散歩を少しずつ距離を延ばしていることを知った強は目標の赤い旗を立てて陰で応援する。そんな強の心遣いを知ったおじいさんは、徹のわがままな態度にとうとう口を出す。

また強の母親役の八千草薫も子供たちを温かく見守り、好演している。強が腹を立てて徹の家のガラスを割った時はきちんと謝らせて責任を取らせる。また、自分の将来について強が心配した時に、塾とか家庭教師とかの前に、もっと大切なことがあり、それは自分で見つけていくことだと教える。

教育課題を盛り込みながら、説教くさくなく、さわやかな感動につつまれるのはどう表現したら良いのだろう。おじいさんが目標を達成した時に、皆で作って食べるうどんの格別な味のようだ。

神谷正浩、茂木昌則、染谷利貴                                     

神谷正浩(1963年生まれ)ののびのびとした演技は特筆に値する。彼はその後「ふりむけば愛」(1978大林宣彦監督)で山口百恵の弟役で出演し、また1979年5月5日フジテレビ系で放送された「泣くものか」(国際児童年協賛作品)で主人公の中学生を演じていた。



 

ふたりのイーダ


1976年、松山善三監督。

松谷みよ子の児童文学が原作で、ファンタジー性あふれたメルヘンタッチで原爆の悲劇を描く。

この作品は準備稿の段階でシナリオパンフにして千円の製作協力券を付けて販売活動を行い、良い映画を作りたい、良い映画を見たいという草の根的運動が展開された。

小学校4年の直樹(上屋建一)と3歳のゆう子(原口祐子)の兄妹は広島に近い町に住む祖父母の家に行く。廃屋の中で不思議なイスに巡りあう。

いつも座っていたイーダがいないと嘆いていたが、ゆう子を見た時にイーダが帰ってきたと喜ぶ。

ゆう子は「イーダ」と顔をしかめるので、自分のことをイーダちゃんと言っていたが、本当のイーダは広島に出かけた時に原爆で死んだのだ。

直樹はおじいさんから原爆のことを聞き、イスに話すが、イスはあきらめきれずに広島に行き、真実を知る。

松山善三の脚本に、山田洋次が協力し、さらにシナリオパンフを買った人からの意見も参考に書き替えたという。子役の二人の演技はすばらしく、特にこの映画の成否を左右する主役の上屋建一は見事期待に応えていた。さらに大人も、倍賞千恵子、高峰秀子、森繁久彌と名優が脇を固め、さらにイスの声は宇野重吉が担当した。






 

はだしのゲン


ゲンときょうだい

1976年、山田典吾監督。

戦争を題材とした映画は、戦争が子供たちに与える影響は見ていて辛いものがある。

だいぶ前に鑑賞した作品で、辛い思いから筆も進まず、そのままにしていたが、貫かれている反戦の精神は受け継いでいかねばならないという思いから書くことにした。

被爆し、過酷な状況を生き抜く少年ゲンを主人公としたこの作品は、中沢啓治のマンガが原作で、自身の被爆体験をもとにしているという。

原作のマンガは、過激で残虐な描写や差別語などでいろいろと批判があったのも事実である。この映画は広島を舞台に、戦争末期から原爆投下、終戦まで描かれている。父役に三國連太郎、母役に左幸子といったベテランが脇をかためている。

中岡元(佐藤健太)は国民学校の2年生。弟の進次(石松宏和)と仲良く遊び、行動を共にしている。父が反戦を訴えて非国民扱いされ、子供たちもとばっちりを受けるし、父は特高に逮捕される。姉も金を盗んだ疑いをかけられる。

いろいろと差別されたりしていやな思いをするが、兄は非国民と言わせないために海軍へ志願する。こうして、ゲンの中に反骨精神が形づくられていく。

重苦しくならないようにとユーモラスな場面も入れているが、多少大げさになったりしたことは否めない。運命の原爆投下、ゲンは校門の陰で助かり、父、姉、弟が犠牲になり、母に新しい生命が誕生し、一条の光が…。


ゲン役の佐藤健太(1968年生まれ)は頑張っていたし、弟進次と浪曲を披露するところはほのぼのとする。得たお金を、兄に餞別として渡すという温かさ、母と生き残りたくましく前に進む姿が印象的であった。



 

はだしのゲン 涙の爆発


1977年、山田典吾監督。

母と生まれたばかりの妹とのゲンの終戦後の生活は、米を得るのに苦労したり、母の知人宅に身を寄せ、いやがらせや理不尽な仕ちを受けたりと苦難の日々であった。

ゲンの反骨精神に貫かれた作品である。悲惨さばかりの描写を避けるため、ユーモラスな場面を入れたりし、中和させようという意図がうかがえるが、少々オーバー気味になったところもあるし、浪花節的でもある。

配役をすっかり入れ替えている。母は左幸子から宮城まり子へ。ゲンも春田和秀(1966生)に。回想で出てくる父も違う。ゲンは隆太という孤児と出会い、最初は原爆で亡くなった弟と間違えて進次と呼ぶが、行動を共にし、兄弟のようになる。

ゲンは原爆症の症状で髪の毛が抜け落ちる。ゲンは母を助けるために仕事を探すが、包帯でおおわれた被爆者の青年政二(石橋正次)の世話をする仕事を得る。画家志望だったが手を使えなくなり、口で筆をくわえて絵を描く。

ゲンと隆太は全裸になり、被災者のモデルとなった。そして、ゲンは政二を外に連れ出すことに…。人々の原爆症の人への言われなき差別や、家のメンツにこだわる兄への政二の反骨精神も描かれる。

 孤児たち                                    隆太とゲン

ラストは大甘の浪花節となるが、焼け跡に植えた麦の芽が出てきて、未来への希望が託されている。決して悪い作品ではないが、ツッコミどころがいろいろあった。



 

博多っ子純情


1978年、曽根中生監督。

「漫画アクション」に連載された長谷川法世のコミックを原作にして、脚本も石森史郎と共同で書いている。

中学生の郷六平(光石研)が主人公で、隣家のお姉さんの弾くピアノにうっとりし、「エリーゼのために」で妄想を抱く。

友人の阿佐道夫(小屋町英浩)、黒木真澄(横山司)とはエッチな話題に夢中になる。相当はじけた映画であり、それが徹底しているからエネルギーを感じる。そして途中で博多弁の解説も入る。

これは六平の大人への通過儀礼の映画である。エッチな話題をはじめ、お祭りで足を怪我した父の代わりに締め込みをして山笠をかついだこと、勢いで酒を飲まされたこと、コーヒーをブラックで飲むこと…。

そして、小柳(松本ちえこ)との恋や、他校生とケンカをして痛い経験もするし、辛子明太子で涙を流すユーモアも。光石研は喜怒哀楽のさまざまな経験を巧みに演じていた。

中学生三人について「選ばれた三人はズブの素人だが、そこは現代っ子。いっこうに物おじせず、地のまま青春前期を謳歌する。ただ、キスシーンやエッチな会話では、さすがに顔を赤くしてモジモジしていた」と撮影現場からの報告にあった(新聞記事より)。


周りの大人たちに、小池朝雄、春川ますみらベテランを配し、脇をしっかり固めていた。ともするとおバカ映画になってしまいがちであるが、曽根中生の徹底した演出で登場人物が生き生きとしていて飽きさせず、佳作に仕上がっており、結果キネマ旬報ベストテン第10位に入った。



 

鬼畜


1978年、野村芳太郎監督。
松本清張の同名小説を原作とし、見応えのある作品であった。出演者の顔ぶれもすごいが、井手雅人の脚本のすばらしさ、野村芳太郎の確かな演出の手腕もあって成功している。

小さな印刷屋の宗吉(緒方拳)のもとに、妾(小川真由美)が3人の子供を連れてきて置いていく。印刷屋は火事にあって、細々と火の車でやっていて、宗吉は子供の養育費を出せずにいたからだ。

宗吉の妻(岩下志麻)は他人の子供を育てる気がないどころか、八つ当たりをしたり、虐待をしたりする。幼い庄二(石井旬)は不慮の事故死、長女の良子(吉沢美幸)は東京タワーで置き去りにされる。

長男の利一(岩瀬浩規)は能登半島の岸壁から突き落とされる。利一は、幸い漁師に助けられるが、警察の事情聴取にも黙して語らず、たまたまポケットに入っていた石板のかけらから足がつく。宗吉は警察で利一に謝るが、利一は「この人父ちゃんなんかじゃない!」と拒絶する。

利一役の岩瀬浩規は目の鋭さが印象的であり、大人のエゴを見抜くかのようであるし、演技もすばらしい。岩下志麻の演技は殺気迫るものがあり、また子供を産んだことのない身の切ない感情を表したりしていた。

子供たちにつらく当たる役柄ゆえに、撮影の合間でも子供たちは彼女に近寄ろうともしなかったという。また、パンフレットには、岩下志麻が新幹線で騒ぐ子供に映画の中とまったく同じセリフ「うるせえな、静かにしなよ!」が口から出てきた、と撮影裏話に書かれている。

子供が父親を拒否するということは、すでに父親から子供を拒否するどころか、この世から抹殺しようとしたのであるから、当然父親としての資格がないどころか、人間ではなく鬼畜生だ、という強いメッセージである。「弟は星になった。妹は金持ちに拾われた。」と、孤独を背負って養護施設に向かう利一の後ろ姿が切なかった。




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