2022年、中田秀夫監督。
思わせぶりなタイトルで、キャッチフレーズでは「ある日、森の中、○○○に出会った」とあり、つい口ずさんでしまって、そりゃ「熊さん」でしょ、となる。
確かに、最初は熊とおぼしき姿であるが、これが見事に裏切られる。
一人で農業を営む田中(相葉雅樹)のところに、東京で元妻と暮らす息子一也(上原剣心)が訪ねてきて、一緒に暮らし学校に通う。
"それ"とは一体何なのか、目撃情報では観客もそのシーンを共有する。不審死に始まり、少年の失踪事件、そして怪奇現象、とホラー映画に必要な要素は揃っている。
この交通整理は一応なされてはいるが、脚本が雑な感じで、ツッコミどころはあちこちにあり、ご都合主義でもある。ふつうは考えられない行動もある。
さらに60年前の子供の失踪事件とUFO 出現のエピソードが加わる。中田監督はそれなりに見せるが、脚本がまずいと力が入らないのか?何か宇宙船もチャチであり(『アブドラジャン』※の鍋よりもましだが)、宇宙人も…。
一也役の上原剣心(2010生)は事実上の主役で、よく頑張っていた。級友のショウタを嶺岸煌桜、コウジを潤浩(いずれも2011年)が演じていた。ラスト、子はかすがいの役から両親は元の鞘におさまる期待で終わる。
※『UFO 少年アブドラジャン』(1992年、ウズベキスタン映画)
2023年、是枝裕和監督。
「怪物だーれだ」…怪物とは、個人の意見が事なかれ主義で打ち消される学校という組織のことを表しているのか、それとも特定の誰かが怪物なのか、と犯人さがしのようになりがちだが、果たしてこれで良いのだろうか?
シングルマザーの早織(安藤サクラ)は、息子の湊(黒川想矢)が担任から受ける精神的肉体的暴力を訴えるが、校長などからそっけない対応をされる。
逆に担任(永山瑛太)から湊がいじめをやっていると言われる。ライターがカバンの中から見つかり、同級生の依里(柊木陽太)の腕に火傷のあとを見つけてしまう…。
「怪物」とは、誰もがもっている心の闇や秘密であるととらえることができるだろう。普段は隠れていたり、隠していたりしても、人とのかかわりなとで不用意に出現することがある。
この作品は循環型の展開で、母親の立場から、担任の立場からと描かれて、そして二人の子供たちを中心に描かれるが、ここが見ものだ。廃車となっている列車の車両は、二人の秘密基地で、少年らしさが出ている。それまでのかかわり、ケンカなどを含め、その延長上にある。
湊に別なもう一人の自分が現れ、複雑な気持ちになり、さらに身体の変化に心がうずく。依里は、すでに気づいていて、彼自身湊に期待していたのかもしれない。「大丈夫。僕もたまにそうなる」、少年の成長とのたたかいの微妙な心理描写が秀逸である。
廃車両は決してどこにも二人を連れていってはくれず、人生は自ら切り拓いていかねばならない。ラスト、自然の中で思い切り自分を表出させる二人に寄り添うシーンは温かいまなざしを感じる。しかし、もう二人はこの世の存在ではなく、ユートピアでの幻想シーンととらえることも出来る。
脚本を書いた坂元裕二は子役について次のように印象を残している。「二人ともまなざしがきれいで、もちろんお芝居も素晴らしかったです。すごく子どもらしい部分と、けっこう大人っぽいことを言ってドキッとさせる部分のバランスが絶妙だなと思いました」(パンフレットより)
坂本龍一の遺作となったピアノ曲は美しい。しかし、曲の流れているエンドロールの途中で席を立つ人がいたのは残念であった。
どの出演者もすばらしく、是枝監督は良さを見事に引き出していた。子役の少年は二人とも映画初出演とパンフレットに記載されているが、黒川想矢は、すでに『前科者』(2022、番外編450参照)に出演している。
[追記]エンドロールの出演者の中に、黒川晏慈の名があった。
黒川想矢の実弟で2013年生まれである。黒川想矢が演じた湊の幼少期役という。そのようなシーンは記憶にないので戸惑ったが、壁に張ってある小学校入学の時の写真の中で出ていた。諏訪市立城北小学校は、この作品で使われたが、劇中かすかに聞こえる校歌は城南小学校のものである。
2023年、GAZEBO監督。
最先端テクノロジーは、人間の日常に入り、溶け込んで生活を変えていく。
2046年という近未来、地方の町(JR成田線の踏切が出てくるので千葉県内か)を舞台にして20分の短編であるが、凝縮されており、集中度を切らせない。
主人公は中学生のタクミ(原田琥之佑)、朝ベッドで目覚めた眼差しが印象的だ。長い足を立てて起き上がる。
3年前に母を亡くし、喪失感はあるが、対話のできる電子アンドロイドの遺影に大人は慣れてしまって平気な顔をして話をしているが、タクミはそうなりたくないと思っている。家庭訪問でも母の遺影が先生に対応する。
大石ハナ先生(納葉)は紙の書物を見せ、生徒に何だか尋ねる。「本です」と答えると、他の生徒は「おじいちゃんちで見たことある」というように、世の中は変わっている。
その大石先生が、突然の交通事故で亡くなる。生徒の思い出をこめて電子アンドロイドを作る。ダウンロードすると先生と会えるが、タクミは「お前なんかハナ先生じゃないし」と言うと、先生も「私も」と答える。
時代はどんどん変化している。しかし人間の心は簡単には変わらない。映画の中でも心ってどこにあるのかという問いがある。人間の感情や心の動きを大切にしながら、変化を見守らねばならないメッセージが隠されていると思う。
原田琥之佑(2010生)は3日間の撮影だったというが、主人公をよく演じていた。
追記
この作品を見た頃に、AIの加速度的な発展に係って作家の伴名練氏のことばが印象に残ったので取り上げる。「かつてはAIが人間のパートナーとしてどうなるかが描かれていたが、現在はAIがある世界で人間はどう生きていくかがテーマになりつつある」(読売新聞)
2023年、塚本晋也監督。
「ほかげ」とは「火影」、『野火』(2014)が戦中の、本作は戦後の魂や精神が焼きつくされる様が描かれる。戦争が終わったということは、また別な戦い(闘い)が始まったのだ。
戦争孤児(塚尾桜雅)からの視点で描き、三つの部分に分けられる。
まず、焼け残った居酒屋で、体を売って暮らす女(趣里)との出会い。おそらく夫と子供を亡くしたのだろう、生気がない。孤児を坊やと呼び、母性を見せる。そして復員兵(河野宏紀)が入り込み、疑似家族のようになるが、心に傷をかかえた者同士に幸せは縁遠い。
次はテキ屋(森山未來)と出会い、行動を共にする。彼は戦争で片手が不自由になった。ここで、坊やの持つピストルが使われる。戦争のトラウマから、元上官へ復讐をする。
最後は、人でひしめく闇市が舞台で、坊やは生き抜くために、食べ物屋の食器を洗う。主人から余計なことするな、と暴力を振るわれ血を流しても必死にやる姿がいじらしい。
そして、洗っていると、食物が…。うどんをすすり、次にはお金が無言で出される。坊やの眼差しには、現実をしっかりと見つめ、その先にどんな困難や苦労が待ち受けているかわからないが、自分の力で生きていかねばならないそんな未来を見据えている感じだ。今その一歩が踏み出されたのだ。
塚尾桜雅(2015生)の大きな眼差しが印象的だ。戦争孤児としての辛い毎日、女との生活の中で見せるかすかな笑顔が刹那的安堵の瞬間であった。なおこの作品で、傷痍軍人や、陰で暮らす元兵隊を、『野火』に出た人たちにも演じてもらったと塚本監督の弁。
2024年、齋藤勇起監督。
齋藤監督が自身の書き下ろし脚本で、故郷の福井市清水町で撮ったミステリー作品。
同じサッカー部の中学生4人組の一人正樹(石澤柊斗)が川で死体で発見される。3人は彼にいたずらをしていたという「おんさん」が犯人だと思い、彼を殺して家に火をつける。春が罪をかぶり少年院へ。
20年後3人はそれぞれの道を歩んでいる。3人の配役(大人、子供)は、春(高良健吾、坂元愛登)、晃(大東駿介、田代輝)、朔(石田卓也、柴崎楓雅)である。
晃が父の死をきっかけに町に戻り、3人は再び出会う。そして20年前と同じ事件が起きる。春が面倒をみている不良少年の一人だ。
朔には双子の弟直哉がおり、今はひきこもり、そして自死をして発見され、事件は直哉が手を下したとし、被疑者死亡で決着する。
しかし、徐々に20年前の悲劇の真相が明らかになっていく。朔も中学生の時、正樹と同様、男からいたずらをされていて、そのことは誰にも知られたくないことであった。現在の朔には悲劇が待っていた…。
ラスト、川に立つ春、川の中で正樹が晃、朔と遊び、自分を呼んでいる幻影を見る。そして自分も川に身をゆだねる。服を着たままふざけあう、明るい笑顔がすばらしい。しかし、遠い過去のこと。川の流れは元には戻らない。