Skaterdater


1965年、アメリカ映画。ノエル・ブラック監督。

東京五輪2020から競技に加えられたスケートボード。映画で印象に残るのは『ボーイズ、ボーイズ』(1977)であるが、カリフォルニアを舞台としたこの17分余りの短編はスケボーが映画に登場した初の作品である。

カンヌ映画祭で最優秀短編映画のパルム・ドールを獲得した。

少年たちは13歳から15歳で、リーダーの少年(マイケル・メル)は自転車の少女(メリッサ・マロリー)に出会い、一気にひかれる。彼の恋のめざめであり、彼女とのひとときは気晴らしであったが、他の仲間との時間が少なくなる。

次の少年(グレッグ・キャロル)がリーダーの座を狙い、二人は急な坂でバトルを展開する…。少年たちは裸足でボードに乗り、セリフはなく、ロック音楽がバックに流れる。コンパクトにまとまっており、スポーツものに隠れたcoming of age 作品であった。

この作品はアメリカでユナイトの配給で『007サンダーボール作戦』と同時上映されたとのこと。






 

マドモアゼル


1966年、英・仏映画、トニー・リチャードソン。
外国映画には少年を描いたものが数多くあるが、「天使」的な無垢な存在であったり、時にはいたずらっ子であったりする。

古今東西を問わず、思春期の少年を描くのは難しいように思われる。シリアスになるか、逆を行ってコミカルにするのかでは雲泥の差があるし、作品の出来具合にも格差がある。大事なことは、少年を人間としてどれだけ描いているかにかかってくると思われる。

この作品は題のとおり、ジャンヌ・モロー扮する女教師が主人公である。準主役として彼女を慕う生徒のブルーノ少年(ケース・スキーナー)、イタリア移民の子で母親を亡くしている。マドモアゼルに勉強を教わり、忘れていったハンカチをポケットにしのばす。そのズボンは父親のを無断ではいていて、脱ぐように言われ、脱いだズボンを父めがけて投げつける。父にそのハンカチを見つけられ、ひやかされる。

マドモアゼルは欲求不満のはけ口に悪さを繰り返す。教師という仮面をかぶったとんでもない女性で、水門を開け水びたしにしたり、放火をしたりする。ブルーノは火事の現場にマドモアゼルがやった証拠を見つけるが、黙っていたのも彼女を慕うからであろう。

彼女はとうとうブルーノの父を誘惑して情事にふける。服が乱れ、泥だらけになった姿を村人が見て、イタリア人の仕業と思い、彼女もそのような反応をしたので、村人は彼を殺してしまう。ラストは惜しまれながら村を去るマドモアゼル。ブルーノは彼女にツバを吐きかけた。


暗い作品であったが、完成度は見事であった。少年の心理描写も優れていた。慕う相手に最大の裏切りをくらったわけであるから、憎悪の気持ちは人一倍強くなる。穏やかな顔つきから、180度転換しての演技は見事であった。キネマ旬報ベストテン第7位。この作品は二度と見ることが出来ないと思っていたが、2001年にWOWOWで放映された。



 

夜のたわむれ


1966年 スウェーデン映画、マイ・ゼッターリング監督
常套句の「芸術かわいせつか」は宣伝文句にも使われたが、映画祭で物議をかもしだした作品である。不思議な魅力があり、これがメジャーのMGMから配給されたというのも驚きである。

青年ヤンはフィアンセを連れて、自分が過ごした館にやって来る。そこには少年時代のいろいろな思い出が詰まっている。それが時には重く彼の意識にのしかかる。現在と過去が巧みに組み合わさって物語は展開する。

少年時代のヤンを演じているのが、ヨルゲン・リンドストロム。ベルイマンの「沈黙」(1962年)にも出演している少年俳優だ。

おばあさんと過ごした楽しい日々、母親の出産のこと(生まれてくるはずの弟は死産)、パーティーで母のスカートの中に入ったこと、など少年時代のヤンはさまざまな経験をし、子どもらしさから欝屈した心理までよく演じていた

何が一番ひっかかってフィアンセとうまくいかないのかは、カゼをひいたときのエピソード。お母さんに風呂に入れてもらい、ベッドで母とたわむれ、本を読んでもらいながら、母の脚に触れて自慰をしてしまう。母はそれを見つけ、こっぴどく怒る…。


ラストは、館を爆破することで、自分の過去を抹殺して解決、と安易ではあるが、これでケリをつけるわけである。少年を描いた映画では、かなり異色のものであるが、いつまでも記憶に残っている。



 

天使の詩


1966年、イタリア映画。ルイジ・コメンチーニ監督作品。

「誤解」という原題のイタリア映画。父親と長男との誤解からラストは悲劇で終わる。母が亡くなり、この事実を父は長男のアンドレア(ステファノ・コラグランデ)には伝えるが、弟のミーロ(シモーネ・ジャンノッツィ)にはまだ幼いので、内緒にしておく。

二人は何ごともなかったかのように遊んだりしているが、兄はシャワーを浴びたあと、いつもの口グセで「ママ、タオルを!」と叫んでしまう。母の声が録音されたテープを聴いていて、ボタンを押し間違えて消してしまい、電気屋に持っていくが、元に戻すのは不可能だといわれしょげてしまう。

店主は、ま、元気をつけなさいと酒を飲ませて酔っぱらうシーンは印象的だった。(「お父さんのバックドロップ」を見て、神木隆之介が誤ってお母さんのビデオを消去してしまって電気屋に泣きつくシーンを見て、この映画を思い出した。)

二人がフィレンツェの街に出かけ、お父さんの誕生日プレゼント用に写真を撮るが、帰りが遅くなってバスにつかまって自転車に乗っているのを父に見つかり叱られる。長男としての責任、弟の面倒をしっかり見ることが期待されているからであろう。

嵐で雷鳴がとどろく夜、ミーロは母を恋しがり、「ママは死んだんだ」と言ってしまう。父は兄がそれをもらしたのだと思い込んでしまう。普段寂しさをまぎらわすために、池のほとりの枯木にぶら下がり度胸試しをしていたが、今度もそれをしているうち木が折れて池に落下してケガを負う。

脊髄を損傷して、最後は母のもとへ旅立つ。父親は誤解していたことがわかり詫びるが、時すでに遅し。このシーンでは、バックにモーツァルトのピアノ協奏曲第23番第 2楽章が流れ、哀愁漂うメロディで、涙を誘う。


初めてビデオが出た時に喜んで求めたら、何と英語吹き替え版であった。アンドレアがアンドリュー、ミーロがマイルズに!あのリズミカルなイタリア語が耳に残っているので、とてもではないが見ていられない。宣伝の中で英語吹き替え版であることが明記されてなかったので、当然クレームをつけて返品した。

二人がフィレンツェで訪れたヴェッキオ橋は有名な橋で、第二次大戦中、連合軍もこの橋は爆撃しなかったという。14世紀に再建されそれ以来その姿を残すこの橋を私はかつて訪れたことがあるが、人が住み、店が並ぶ橋であり、一見すると道路の延長みたいであるが、中央部にアルノ川が見える場所があり、橋だとわかる。



 

老人と子供


1967年、仏映画。クロード・ベリ監督
第2次大戦中の監督自身の自伝である。

ユダヤ人の少年、8歳のクロード(アラン・コーエン)は、両親のはからいで、つてを頼って田舎に疎開し、老夫婦の家庭に預けられる。

そのおじいさんは大のユダヤ人嫌いで、クロードがユダヤ人であることがバレると大変なことになる。そのうちに二人は本当のおじいちゃんと孫のような関係になるが、終戦とともに別れることになる。

おじいさん役は名優ミシェル・シモンで実にうまい味を出しているし、クロードとは対等の遊び友達のように演じていた。ここまで人間関係が出来ると、クロードが自分がユダヤ人だと言っても、冗談だと受け止めてくれる。


アラン・コーエンは時に茶目っ気を見せたりしていてかわいらしかった。自伝の映画は、とかく過去を美化しがちであり、甘くなったり感傷的になったりするが、それは多少あるにしても素朴な味わいの作品となっていた。



 

みどりの讃歌


1968年、西独映画。ヴェルナー・ヤコブス監督。
ハインチェという少年歌手がいた。数多くのレコードが出て、ヨーロッパでは人気を博し、彼を主演に数本映画が作られたようだが、そのうち「みどりの讃歌」が公開された。同じ配給会社(20世紀フォックス)の「離愁」の添え物として公開され、見ることができた。

「ボクのこころは歌…明るくはずむ美しいうた!」というキャッチフレーズで春休み映画として1975年に公開されるも、たいして大きな話題にはならなかった。

この映画での少年の名もハインチェであり、孤児を演じている。孤児院から脱走して、途中さまざまな事件等に遭遇するも、最後はめでたしめでたしで終わる。

 

ストーリーは単純なホームドラマ的なものであるが、ハインチェの歌でつないでいるために、それが生きている。少々クセのある歌い方ではあるが、かなりの実力の持ち主で、上手である。

ハインチェは1955年オランダ生まれで、ハイン・シモンズが本名という。残念ながら、日本ではあまり知られずに終わったきらいがあるが、「当時の西欧では、どの国のレコード店に行っても、ハインチェのLPが店頭にかかげてあった。人気はすさまじかったが、たしかに実力もすぐれていた。」(竹宮恵子『鏡の国の少年たち』1980新書館)と、あちらではすごかったようである。



 

クリスマス・ツリー


1968年、仏映画。テレンス・ヤング監督。

ミシェル・バタイユ原作の映画化で、スタッフ、キャストは米、英、仏、伊と国際色の強い作品。主役の少年のかわいらしさとお涙頂戴のストーリーで、女性客を呼び、ヒットした。

いきなり「禁じられた遊び」のテーマ曲から始まり、意表をつかれるが、この曲はスペイン東北部にあるバスク地方の民謡で「ロマンス」の名で伝えられて来たもので、イェペスが編曲したものを「禁じられた遊び」で用いたものである。



パスカル(ブルック・フラー)はコルシカ島で父とバカンスを過ごしていた。ゴムボートで沖合に出ていた時に、米軍爆撃機が空中爆発を起こし、パスカルは放射能を浴びてしまう。

父はたまたま綱がひっかかったのをほどきに海中に潜っていて難を逃れる。半年の命と宣告を受け、パスカルの余命を楽しく過ごさせることにして、フランスのオーベルニュの別荘で暮らす。

トラクターが欲しいといえば買ってあげ、狼が欲しいと言えば、動物園まで盗みに行くというありさまで、単純な展開であるが、ラストはやはり涙を誘う。



クリスマス・ツリーの下で永遠の眠りにつき、手にはプレゼントの絵が。そこには、Good Luck と書かれていたが、テレビ放映された時はフランス版だったのか、Bonne Chance とあった。「お幸せに」という意味である。



ブルック・フラーは1958年生まれで、この作品の前に「山猫」(1963、監督ルキノ・ヴィスコンティ)に出ていると、パンフレットで渡辺祥子氏が書いていた。5歳の時で、パンフレットのキャストのところには当然名前はなかったが、確かに出ている。左の画像で、バート・ランカスターの右にいる。




 

if もしも…


1968年、英映画。リンゼイ・アンダーソン監督。
カンヌ映画祭グランプリ受賞作品。

イギリスの500年の歴史のあるパブリックスクール(私立の中等教育学校)を舞台にして「授業開始」「課外活動」というようにチャプターに分かれ、学校生活、寮生活を中心に物語は展開し、最後は「十字軍の兵士たち」のタイトルで、造反が起き武器で撃ち合う。

もしも…と、あくまでも仮定である。しかし、学生運動はなやかなりし時に公開され衝撃的であった。パブリックスクールには中・高生の年齢の男子がいて、新入生は小学生のようであるし、上級生は大人のようである。

新入生のジュート(ショーン・バリー、画像1)は入学初日どうしてよいかわからずに、上級生に尋ねる。先生だと思ったのか、丁寧にsirをつけて質問する。その上級生は近くの生徒に指示をして、最後にジュートに、You don't call me sir. と言う。字幕には「オレは先生じゃないぞ」と訳が付いていた。

物語は上級生を中心に展開し、カラーと白黒の画面が交互に写し出される。いじめや懲罰(ムチ打ち)、寮での遊びからさまざまな生態が描かれている。

寮では、下級生が上級生に奉仕をしなければならないという伝統があり、下級生の中でも学校随一の美少年フィリップ(ルパート・ウェブスター)は上級生からも気になる存在である。

ある日フィリップは上級生が鉄棒で大車輪をする姿を羨望の眼差しで見つめるが、このシーンが最高である(左の写真)。


 


最初に述べたショーン・バリーは、その後「フレンズ ポールとミシェル」(1971英、ルイス・ギルバート監督)という映画で、15歳のポール役を演じた。14歳のミシェル役はアニセー・アルビナ。十代の恋愛、出産を描き、話題となってヒットした作品である。


奇しくもこの年には「、小さな恋のメロディ」も作られており、イギリス映画で少年少女の恋を描いた2作品がヒットしたことになる。なお、1974年には同じメンバーで「フレンズ」の続編が作られた。
(なお下2枚の写真は映画「フレンズ」から)



 

L'Enfance Nue


1968年、フランス映画。モーリス・ピアラ監督。

傑作であるが、切ない映画である。このような作品が未公開であることは残念でならない。題は「裸の少年時代」という意味であるが、10歳の少年フランソワ(ミシェル・テラゾン)が主人公である。

フランソワは両親に棄てられ、養父母に育てられている。彼らの実子である女の子ジョゼットとは仲良くしているが、フランソワは盗みをしたり、猫を階段から落としたりするなど悪さをしている。

養父母はお手上げになり、機関の職員に引き取りに来てもらう。別れの日、フランソワは養母にプレゼントを渡す。このようなやさしい面もある。

次に老夫婦のティエリー家に行くことになるが、そこにはすでに養子のラウルという子(アンリ・プフ)がいて兄ができる。しかし、学校ではいじめられ、また悪さもする。ティエリー家にはナナという大おばあちゃんもいて、フランソワは好きになり、終始ムスッとした表情だが、ナナの前では笑顔を見せる(下右写真)

そのナナも亡くなり、それがフランソワにとってショックだったのか、また彼の心は不安定になる。ワルの仲間とボルトを陸橋から走る車に投げ、事故を起こさせる。フランソワはつかまり、鑑別所へ、それから少年院へ行くことになるだろうということが語られる。

ラスト、ティエリー夫妻に届いたフランソワの手紙を読むところで終わる。クリスマスまできちんとしていれば休暇で帰れる、家が恋しい、といった内容だ。


トリュフォ監督の「大人は判ってくれない」(1959)を思い出す。愛に飢えた少年ということは共通するが、この作品ではちゃんと両親のいる家庭である。いわんや、フランソワの場合は親に棄てられ、いつか母が迎えに来てくれるだろうという願いも絶望的だ。フランソワの見せたわずかの良い面が印象に残る。本来なら、こうした面が普通であったはずなのに、という気持ちが強く残る。

ちなみにティエリー夫妻は実在の人物で、ピアラ監督は彼らからいろいろと情報を得て、彼らの養子だったディディエという少年をモデルにこの作品を作ったという。



 

オリバー!


コロムビア映画の豪華な試写状(二つ折り)

1968年、イギリス映画。キャロル・リード監督。

ディケンズの名作がミュージカル化され、その映画が登場した時は期待でいっぱいだったし、それに違わぬ感動作であった。ストーリーラインは1948年デヴィッド・リーン作品のレビューを参照してほしい。

ライオネル・バート作詞作曲のミュージカル「オリバー!」の舞台は1960年英ウエストエンドで初演され、1963年に米ブロードウエイで上演された。そのミュージカルナンバーから「なんでもやるさ」や「ウンパッパ」などは1965年にNHK みんなのうたで放送された。

1968年5月、帝国劇場での日英親善公演ではオリバー役はジョン・マークとダリル・グレイザーのダブルキャストであった。そしてこのミュージカルの映画化作品は1968年10月9日、ヒビヤ有楽座でロードショー公開された。当時の料金は広告を見ると一般500円、学生400円、子ども300円であった。

                                       腕利きドジャーとオリバー

左フェイギン、右ビル・サイクス                                       

オリバー役にはマーク・レスター(1958年生まれ)、腕利きドジャーにはジャック・ワイルド(1952〜2006)で二人は3年後「小さな恋のメロディ」でも共演する。フェイギンにはロン・ムーディ。

純粋な子供の世界を代表するようなオリバーの役柄であるが、マーク・レスターは多少弱々しいが、かわいらしさ全開である。のびのびと達者な演技や力強い歌声を聞かせるのがジャック・ワイルドである。

ラストはオリバーは幸せになり、フェイギン(逮捕を免れたのか?)とドジャーがまたしたたかに人生を歩んでいくその後ろ姿で終わる。


画像左は英ロンドン・オリジナルキャスト(1960)のLP (オリバー…キース・ハムシャー、フェイギン…ロン・ムーディ、ドジャー…マーティン・ホーセイ)。

画像右は米ブロードウェイ・オリジナルキャスト(1963)のLP (オリバー…ブルース・プロクニク、フェイギン…クライヴ・レヴィル、ドジャー…マイケル・グッドマン)。


※(参考)オリヴァー・ツイスト関連作品。
 ■1922年『オリヴァー・ツイスト』  名子役ジャッキー・クーガン主演。
 ■1933年『オリヴァー・ツイスト』  トーキーで作られた第1作。
 ■1948年『オリヴァ・ツイスト』   クラシック映画の傑作。
 ■1968年『オリバー!』       マーク・レスター主演ミュージカル。(本作)
 ■2005年『オリバー・ツイスト』   巨匠ロマン・ポランスキー監督作品。




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