ローラーとバイオリン


1960年、ソ連映画。アンドレイ・タルコフスキー監督。
映画大学監督科卒業制作の短編(45分)。このような作品が公開され、またDVD化されたのも、タルコフスキーの作品であることと、完成度も高いことからであろう。確かに彼の原点であり、後の作品で見られる幻想的なもの、光と水のイメージがこの作品でもよく表現されている。


ヴァイオリンを習う少年サーシャ(イーゴリ・フォムチェンコ)は近所の子供たちに「音楽家」とからかわれ、いじめられたりしている。ローラーを運転するセルゲイ(ウラジーミル・サマンスキー)が味方になってくれ、仲良くなり、心の支えとなる、という物語。

ストーリーは単純であるが、イーゴリ・フォムチェンコはかわいらしく、笑顔が印象的である。 特筆すべきは、タルコフスキーは、アルベール・ラモリスの「赤い風船」に影響されたという。少年を生き生きと描くこと、そして色彩美の追求である。ローラーの色をはじめ、紙ばさみ、リンゴや服などさりげなく赤を使い、ほどよいアクセントになっている。

短い時間で凝縮されているからこそ、忘れられない作品となっているのであろう。



 

未知空間の恐怖 光る眼


1960年、英映画。ウォルフ・リラ監督。

78分と短く、低予算で作られた映画でありながら、見所の多いSF作品である。テンポも緊張感もほど良い。

イギリスのミドウィッチという村で、白昼、人も動物も皆眠りに陥るという怪奇現象が起きる。数時間後目を覚ますが、それまでは外部の人は村に立ち入ることはできなかった。

女性は妊娠していることがわかり、やがて子供が同じ時に次々生まれる。主人公のセラヴィ夫妻(ジョージ・サンダース、バーバラ・シェリー)にも男の子が生まれ、デイヴィッドと名付けられる。

子供たちは成長が早く、知能も高いことがわかる。彼らは同じ髪、似たような顔つきで、目が鋭い。人の心を透視する能力をもち、彼らに敵意のある人は、輝く目に操られて死に至らされる。村人はますます恐怖心を抱き、彼らは隔離されることに。


セラヴィ博士は時限爆弾で自分も道連れに子供たちを抹殺する計画を立てる。時限爆弾の入ったカバンを持ち込む時に、心を見抜かれないようにと、彼は常にレンガの壁を思ってガードする。

子供たちがその壁の向こうにある本心を見抜こうと少しずつレンガを崩していくところが面白い。壁の向こうにようやく見えたのは、まさにセットされた時刻になろうとしていた時計であった。

デイヴィッド役はマーティン・スティーヴン、他の子供たちと同様に、不気味な存在を表してした。彼は1948年生まれで、この作品の後に「回転」(1962)「湖愁」(1965)に出ている。


この作品は1995年米、ジョン・カーペンター監督でリメイクされ、副題なしの「光る眼」のタイトルで公開された。このリメイク版については「見る時間と金の無駄」とか「何ら前作を超えるものはない」などと評されていたが、そうなると余計に、見て確かめてみたくなるのも人情だ。

リメイク版「光る眼」1995年

時間を長くした分冗漫であるし、子供たちもよりロボット化したように見え、不気味さを通り越している。目の輝きもCGが発達した分の効果はあるが、ただそれだけである。デイヴィッド役はトーマス・デッカーが演じていた。



 

Hand in Hand


1960年、イギリス映画。フィリップ・リーコック監督。

題は「手に手を取って」という意味の珠玉の作品で小さな恋の物語である。白黒の画面が美しい。

冒頭、びしょ濡れで駆ける少年マイク(フィリップ・ニーズ)、教会の神父のところに行き、「レイチェルを死なせてしまった」と泣きながら言う。ここから二人の学校での出会い、仲良くなってからのいきさつが描かれる。

レイチェル(ロレッタ・パリー)は歌が上手で、ソロのすばらしい演奏を聞かせてくれる。マイクはペットの白ネズミをポケットに入れており、二人を近づけたのもそのネズミだ。二人は夢を語り合い、マイクはアフリカに行くこと、レイチェルはロンドンに行って女王様に会いたいと思っている。

想像の妹のミランダ・アンのこともいつも思っている。二人はテレビで見たのをまねて、血の契りを交わす。ロンドンに行こうと、二人はヒッチハイクをするが、止まってくれた車にはフェアバンクに住む、皇族の一人のレディ・キャロライン(シビル・ソーンダイク)が乗っていて、邸宅に招いてくれる。

二人の間に事実がわかる。マイクの家はカトリック教、レイチェルの家はユダヤ教であるということ。子供であるがゆえに、宗教のことは断片的なことしかわからない。マイクは土曜日にユダヤ教会堂の礼拝に、そしてレイチェルは日曜日のキリスト教会での礼拝に行く。それぞれ互いに異文化の体験であったが、二人の絆は変わらない。

二人は川へゴムボート遊びに行くが、「危険」の標識を見て、レイチェルは立ち上がったときに木にぶつかり川に落ちる。マイクはすぐ川に入り、助けるが意識を失っていた。近くの農家に助けを求めに行く。そしていてもたってもいられず、神父の所に行ったのだ。

事情を聞いた神父は、マイクに「マタイ福音書」の一節(第19章14節)を語る。二人でレイチェルの家に行くと、ユダヤ教のラビが来ていて「レイチェルは大丈夫だ」と言い、そして神父もラビもほぼ同時に「神のお陰で」と言う。レイチェルが無事だと安心したマイクは、二人が同じ言葉を話したことで、すべてがふっきれたように家路についた。

二人の主人公はとにかくかわいらしく、心を癒される。マイク役のフィリップ・ニーズは1950年生まれ。また友人役のトムにデニス・ギルモア(右写真の右側、1949年生まれ)、彼は後にディズニー映画「青きドナウ」「首のない馬」に出演した。



 

わんぱく戦争


1961年、仏映画。イヴ・ロベール監督
「ボタン戦争」という原題であるが、原作はルイ・ベルゴー。

隣り合う二つの村の子供たちのたわいもない遊びのような争いも、彼らには戦争であった。

敵につかまっては、ボタンを全部取られ、ズボンのつりひもから、靴ひもまで切られるありさま。そこで考え出した戦法が、全員素っ裸で戦うこと、こうすると取られるものは何もないから。


こうした単純なストーリーであるが、天真爛漫なプチ・ジュビス(この映画の役名をそのまま芸名として使っているが、本名はアントワーヌ・ラルチーグ)をはじめ素人のわんぱくな子供たち多数出演。

戦いが済んで、親により寄宿舎に入れられる子供。となりのベッドには敵の子が。「お前もか!」と抱き合い、最後の言葉がふるっている。

「大人になれば、どうせバカになるんさ!」 自然の森、小川、そこで子供たちのバカバカしくも生き生きと動き回るさまは、今や失われたものであり、大人や社会への皮肉も込められている。何ともほほえましい作品であった。

この翌年にロベール監督は、続編ともいうべき「わんぱく旋風」を作っている。




 

回転


1961年、イギリス映画。ジャック・クレイトン監督。

ヘンリー・ジェームズの「ねじの回転」の映画化。脚本の一人に小説家トルーマン・カポーティの名が。

郊外の邸宅に家庭教師としてギデンズ(デボラ・カー)がやって来る。見るからにお嬢様のフローラ(パメラ・フランクリン)と会う。寄宿学校に行っている兄のマイルズ(マーティン・スティーヴンス)が帰って来る。

退学だと聞き、ギデンズは不安な気持ちになるが、会うとお坊ちゃんであり、学校からの「他の生徒への害」とか「不道徳」といった報告が信じられない。その後、ギデンズは塔の上や窓の外に男の姿を、池の中の水草の上や家の中で女の姿を見る。これは妄想なのか?夜もうなされたりする。

その二人は、すでに死んでいる従者のクイントと、前の家庭教師のジェッセルで、二人が忌まわしき関係だったことを家政婦のグロースが打ち明ける。マイルズはクイントを父のように慕っていたし、フローラもジェッセルが大好きだったという。

子供たちは亡霊にあやつられており、危険が迫っている。何とか救いたいとギデンズは思うが、子供たちはだんだんと不気味になっていく。グロースとフローラをおじのもとに行かせ、屋敷に残ったギデンズとマイルズ。マイルズは完全にクイントにあやつられて殺気迫ったようになり、そして悲劇の結末が…。


白黒画面が雰囲気を盛り上げていた。マイルズ役のマーティン・スティーヴンスは1949年生まれ、フローラ役のパメラ・フランクリンは1950年生まれで、二人とも好演していた。原題は「The Innocents」で、無垢、純真という意味であるが、子供たちばかりでなくギデンズも含んでいるのだろう。

「ねじの回転」は独特の雰囲気があり、ブリテンによるオペラは魅力的だ。また、この前日談を映画化したのが「妖精たちの森」(1971)である。



 

Swiadectwo Urodzenia


ヤネク

1961年、ポーランド映画。スタニスラス・ロゼヴィツ監督。

英語題は『Birth Certificate(出生証明)』である。第二次大戦でナチスドイツがポーランドを侵攻した頃、三人の子供(1、2話は少年、3話は少女)の目を通して戦争の悲惨さを描いたもの。

ドキュメントタッチで描かれ、静かな語り口の中で、生き抜こうとする子供たちの姿が素朴な感動を呼ぶ。

[第1話]On the Road(路上で)
一人ぼっちになったヤネク(ヘンリク・フリニエヴィツ)は親を捜し、東へと目指す。通りかかった馬車の荷台に隠れるが、持ち主のヨセフは食べ物をくれたりしてやさしくしてくれ、二人で行動する。ヨセフはポーランド兵だったようで、武器を持っており、侵攻するドイツ軍を見て発砲する。ヤネクはその場から逃げ、再び一人となり、行くあてもなくさまよう。

[第2話]A Letter from the Camp (収容所からの手紙)
ズビセク(エドワード・ミンサー)は二人の弟ヘニエク(アンジェイ・バナシェフスキ)とヤセク(パヴェル・ロズヴィツ)と暮らしている。父はドイツ軍の収容所にいる。街の中ではドイツ兵の蛮行を目の当たりにしながらズビセクは古物回収のおじいさんの手伝いをしたりしている。

ある日弟たちが家にいず、ヤセクが歌を歌って金を稼いだと言う。ズビセクは困っている人には、父の靴をあげたりしてほどこしをするやさしい心をもっている。父から手紙が届くが、収容所には誰もいないことを知る。ラストは母が帰ってきて、ズビセクはホッとする姿で終わる。

[第3話]A Drop of Blood (血の一滴)
ドイツ軍のユダヤ人狩りが激しくなった頃、ゴミ箱の中に隠れていた女の子ミルカ(ベアタ・バルシェチェフスカ)は一人になり、おじを訪ねていく。孤児の施設に預けられ、おばからマリシャと名乗るように言われる。孤児院にドイツ警察が来る。ミルカが目をつけられ、皮肉なことに、この子はドイツの孤児院に入れるべきだと言われるが、彼女は自分はポーランド人であることを強調する。

ヤネクとヨゼフ                                ズビセク  

弟たちと                                  ミルカ 

三話とも、後にジワジワと感動が呼び戻される感じである。



 

僕の村は戦場だった


1962年、ソ連映画。アンドレイ・タルコフスキー監督。

少年映画として傑作の部類に入るが、それは主人公の少年イワンを演じたニコライ(コーリャ)・ブルリャーエフの演技のすばらしさによるものだ。

タルコフスキーの長編第一作。この作品の前に愛すべき短編「ローラーとバイオリン」がある。

冒頭、詩情あふれる映像美に一気に引き込まれる。森の中で遊ぶイワン、そして空を飛ぶイメージ。母がくんできた水を飲む、その笑顔は幸せそのものだ…これは夢であった。今は戦争の世の中にいる。

夢、あるいは幻想のシーンはその後も出てくる。そしてタルコフスキーの水のイメージが描かれる。母と井戸をのぞくシーンがすばらしい。井戸を見つめると昼でも星が見えると言う母、井戸の中で光をすくおうとするイワン。突如母は銃弾に倒れ亡くなる。母親を演じたのは、監督夫人のI・タルコフスカ。

孤児院から逃げ、軍の偵察をするイワン、対岸から川を渡り、前線部隊へ来る。連絡を受けた司令部のホーリン大尉は手柄をたたえるが、これ以上イワンを危険な任務に使うことをやめ、幼年学校へ入れようとする。

しかしイワンは断固拒否する。彼が行っていることは決して英雄的行為ではなく、肉親を彼から奪ったことから来る憎しみからであり、それが彼の生き抜く全てであった。

戦争で気がふれた老人、白樺林でのマーシャ衛生中尉と二人の男の恋の場面などのエピソードがはさまれている。雨の中、リンゴを積んだトラックの荷台に乗るイワンと妹、バックの林はネガのままで、この映像処理はすばらしい。

再びイワンは、ホーリン大尉、ガリツェフ中尉と対岸へ舟で渡る。イワンはここから単独行動をとり、二人はさらし者にされた死体を回収する。


それからどのくらい時が流れたのか、ラストは終戦直後のベルリンのドイツ軍司令部。処刑者リストの中に、イワンが…その写真の顔は憎悪のかたまりのようであった。

ラスト、友達と遊び、川の浅瀬を走る妹とそれを追うイワン。そして妹を追い越してさらに走り続ける…もし戦争がなかったら、こんなふうに子供時代を送っていただろうという場面で、これは戦争で犠牲となったすべての子供たちに捧げているととれるだろう。



 

青きドナウ


1962年、アメリカ映画。スティーヴ・プレヴィン監督。

ウィーン少年合唱団の出演するディズニー映画の傑作。ウィーン少年合唱団の映画は、西ドイツの「野ばら」「ほがらかに鐘は鳴る」があった(番外編4参照)。

この作品では二人の少年を中心に、合唱団のアウガルテンでの生活やレッスの様子、オーディションから正式団員になるまで、演奏活動や野外活動など、数々の名曲とともに十分楽しめる作品となっている。そして、団員にとって最大の危機である声変わりを描いていることも特筆すべきことだ。

トニー(ヴィンセント・ウィンター)は父の運転する列車の到着をウィーン西駅で待っていて、その列車にツァーから戻ったウィーン少年合唱団のメンバーと出会い興味を示す。歌が好きなトニーはオーディションを受け、二人の枠にフリーデル(デニス・ギルモア)とともに合格する。

父は最初はしぶったが、学業成績が悪いと退団させるということで認めた。入団して先輩のピーター(ショーン・スカーリー)が世話をしてくれる。ある日ヘラー先生(ピーター・ウェック)からシューベルトも団員だったことを聞いていて、ピーターと「菩提樹」を歌う。その時ピーターはアルトを歌わされて少しムッとする。

また子供たちの入院する病院訪問でソロを奪われたことにも嫉妬して準備部屋から出られなくする。しかし、トニーは告げ口したりせずに、二人は友情を築く。ピーターが歌い方を教えてくれ、晴れのソロを披露した曲は、アイブラーの“Omnes de Saba venient”で、めったに聴くことのできない輝かしくすばらしいグラドゥアーレ(昇階唱)である。

そして、次のツァーの予定が発表され、オペレッタ公演を迎える。その直前にピーターの声変わりが始まっていた。皆は考えて、ピーターは口パクで、舞台袖で他の団員が代わりに歌うが、途中でバレる。何とかピーターもツァーで一緒に行かせたいという団員の熱意で、ピーターを副指揮者として同行させ、ラストはピーターの指揮で「美しく青きドナウ」を歌う。

ドラマ構成が良いだけでなく、音楽の扱いもすばらしい。当時の合唱団指揮者のヘルムート・フロシャウアーの手腕が見事である。日本ではイギリス公開時の題“Born to Sing”が原題となっていた。

左)フリーデルとトニー   中)トニーとピーター

ショーン・スカーリー、ヴィンセント・ウィンター(いずれも1947年生まれだが、後者は1998年に亡くなったようだ)、そしてデニス・ギルモア(1949年生まれ)は当時のディズニー映画の少年スターであった。なおトニーの歌声の吹き替えは、フェルディナント・シルハーネックであるとのこと(熱心なウィーン少年合唱団のファンのブログより)。



 

Agostino


1962年、イタリア映画。マウロ・ボロニーニ監督。

アルベルト・モラヴィアの小説の映画化。“Agostino”とは13歳の少年(パオロ・コロンボ)の名である。

副題として、“La Perdita Dell'innocenza”(純真さの喪失)とあり、少年のcoming of age の作品である。

冒頭タイトルバックにサティの「ジムノペディ第1番」が聞こえる。ピアノ曲を編曲したもので、作品の中で何度か流れる。この曲には「ゆっくりと悩めるごとく」という表情指定があり、思春期を迎えた少年アゴスティーノを表しているかのようだ。

舞台はヴェネチアで、アゴスティーノは、夫を亡くした母(イングリッド・チューリン)と夏を過ごすためにやって来ている。見るからに品の良い金持ちのおぼっちゃんである。また、ゲーテの「魔王」を暗唱するシーンもあり、聡明である。

二人はいつもべったりである。母は息子に愛を注ぎ、アゴスティーノも母に甘える。そんな彼らにレンツォという男(ジョン・サクソン)が現れ、誘われてモーターボートに乗せてもらったりするが、母に言い寄る彼の姿がアゴスティーノは気になる。母もまんざらではないようであることを見抜き、寂しさを感じながらも、彼らから遠慮するようになる。

アゴスティーノは浜で遊ぶ年上の少年たちと出会う。少々野蛮で不良がかっているが、アゴスティーノは自分にないものを彼らがもっているので、いやがらせをされたり、悪口を言われても一緒に遊ぶ。

それから、徐々にアゴスティーノの中で何かが変化していく。母離れとともに、母を一人の女性として見るようになる。性へのめざめもあり、純真さ、無垢さの破壊や喪失が進むが、いろんなものが入り交じった混乱につながり、悪夢を見たりする。

ラスト、アゴスティーノは母にもう子供扱いしないで、と言う。しかし、一人前の男になるまでには長い時間を要するだろう。物語の中でナレーションが入る形で進行する。


アゴスティーノ役のパオロ・コロンボは、上品なおぼっちゃんであり、母に寄り添い、甘える姿は、水着に着替える時も、母の目の前で平気で裸になる姿にも現れていた。そんな純真さ、無垢さが変化していく様子が、彼の表情にも現れる。静かな語り口のcoming of age の映画として、この作品も加えられるべきであろう。



 

サミー南へ行く


1963年、英映画。アレクサンダー・マッケンドリック監督。
W・H・キャナウェイの原作の映画化。少年の冒険を描いた映画は多く作られてきたが、これはアフリカを縦断する少年の物語。

エジプトのポートサイドに住む少年サミー(ファーガス・マクリーランド)はスエズ運河をめぐってイギリスとエジプトの間で危険な空気が漂っていたときに、両親を爆撃で失う。

両親はサミーを叔母のところへ疎開させようとしていたが、サミーはその叔母の住む南アフリカのダーバンを目指し8千キロの旅に出る。


当然のことながら道中いろいろな経験をして、最後はハッピーエンドで終わる、と簡単に言うとこうであるが、映画を見ている間はハラハラドキドキの連続で画面に釘付けになっていたことを思い出す。

親切な人の世話になるが、乗った列車が北に向かっていることに気付きあわてて逃げたりする。倒れていたところを救ってくれたシリア人は途中事故で亡くなる。


コッキー老人との出会いや、原住民とのふれあいもある。猛獣も出てくる。ファーガス・マクリーランドは見るからにおぼっちゃまであるが、サバイバルの旅を続けるたくましい少年を好演していた。

この作品は1964年 7月10日に日比谷スカラ座でロードショー公開された。東京オリンピックのちょうど3か月前である。その時の広告を見ると、お子様250円、学生330円、一般380円、指定席700円とある。「ALWAYS三丁目の夕日'64」の当時の世相の一端がわかる。

1963年イギリス王室選定映画で、日本でも多くの団体から推薦を受けた。





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