Before the Storm


2000年、スウェーデン映画。レザ・パルサ監督。

見応えのある作品であるが、日本未公開作品。中学生の少年レオ(エミル・オデパルク)と、彼があこがれている少女サラ(サーシャ・ベッカー)、その父親アリをめぐって物語は展開する。

アリが娘たちを学校まで車で送って行き、サラはカバンを車の中に置いたまま忘れたので、それを自転車をきれいにしているレオに、サラに渡してほしいと依頼した。

レオが手入れをしていた自転車は自分のものではなく、上級生ダン(マルティン・ワルストレム)のものである。ここで、レオがダンから一方的に命令をされて、言われるがままになっているということが、その後の伏線となっている。

体育の授業のあと、シャワーを浴び、レオはパンツ一丁で友人とふざけあっていた。そんなところにダン(下の写真中央の右側)が現れ、今女子が更衣している部屋にタオルを忘れたから取って来いとレオに命令する。ナイフで脅し、パンツを脱いで入れと言う。

いやいやながら、全裸になり入ると中は騒然となる。そこにダンも入ってきて、サラが着替え用に手に持っていた下着を奪って、それをはくようにレオに命ずる。レオは涙を流しながら渋々従う。下着をはいたあとレオは悔しさいっぱいでダンに飛びかかるが、かなう相手ではない。

まさに卑劣で、人間の尊厳を傷つけるようないじめ=犯罪である。自殺したいくらいの気持ちになるが、放課後彼のとった行為は、家からピストルを持ち出して…。ここまでで約30分間、見せる場面の連続であった。

一方で、サラの父アリは、中東のどこかからこちらに移って来たようで、その経緯については不明である。故国の元妻と息子が人質にとらわれており、ある要人を殺さないと二人の命はないと脅迫されている。


ここでも、彼の取る行動の描写が見所であったが、皮肉なことに、彼らが解放されたときに、集落全体に砲弾が撃ち込まれた。最後はレオが矯正学校に入るが、その姿には何かふっ切れた表情がうかがえ、新たな希望を感じさせるものがあった。

レオを演じたエミル・オデパルクは美少年であり、まだ十分変声しきってない声であった。思春期真っ只中で、女子の前での全裸の演技はよくやったと思う。出番は少ないが、レオの弟フィリップを演じたエリック・ラガーはかわいらしかった。



 

シーズン・チケット


2000年、イギリス映画。マーク・ハーマン監督。

15歳のジェリー(クリス・ベアッティ)は二つ年上のスーエル(グレッグ・マクレーン)とサッカーチームのニューキャッスル・ユナイテッドの試合をスタジアムで見ることを夢見ていた。

ジェリーは、初めて父とサッカー観戦したときのことが強烈な思い出となっている。

しかし、今は父は家にいない。二人は500ポンドもするシーズン・チケットを手に入れるためにクスリもタバコもやめ、街で小遣い稼ぎに精を出す。

そんな時に姿を消していたジェリーの父が戻り、お金を取ってしまう。二人はとうとう銀行強盗をするが、当然のことながら失敗。

裁判で、一人暮らしのお年寄り宅への食事のケータリングのボランティアをするよう言い渡される。


幸運なことに、その老人の住む団地の最上階からはスタジアムの試合が一望できたのだ。

社会問題や家族の問題もからめているが、深くは描かずに、二人の少年の一途な思いをスパイスを利かせて描いている。終始出ずっぱりのこの二人についてハーマン監督は、全く映画の経験のない二人を選ぶのはリスクは大きくとても緊張したというが、二人は起用に十分応えている。



 

リトル・ダンサー


2000年、イギリス映画。スティーヴン・ダルドリー監督。

1984年、イングランド北東部ダーラムの炭鉱町が舞台。サッチャー政権のエネルギー転換政策で炭鉱が閉鎖されていった時代だ。原題の「ビリー・エリオット」は主人公の少年の名で、ジェイミー・ベルが演じている。

母を小さい時に亡くし、祖母、炭鉱夫の父と兄と暮らすが、炭鉱ではストライキが行われていて、兄はリーダー格である。

ビリーはボクシングを習っているが、どうも性に合わない。ボクシングジムの隣でバレエ教室が開かれることになり、女の子たちが練習する姿を見て、ビリーは興味を抱き、ひそかにバレエ教室に参加し、女の子と一緒にレッスンを受ける。指導しているウィルキンソン夫人は彼の才能を見抜くが、ボクシングを習うお金をバレエに使っていたことがばれて、父は怒る、「男がバレエなんか!」と。

ビリーの友人マイケル(スチュアート・ウェルズ)は女装をしたりして、ビリーが好きだ。クリスマスの夜、二人で踊っていて、そこに父が現れ、ビリーは何かに取りつかれたかのように一生懸命踊り、ようやく息子の意欲と才能を認める。

炭鉱のストが長引くなか、兄が逮捕されたり、父はビリーのためにスト破りをしたりとエピソードが加わるが、やはり全体を通して躍動感あふれるビリーの姿に感動する。結局ビリーはロイヤル・バレエ学校に入学し、15年後プロとなって踊るシーンはアダム・クーパーが特別出演している。

少年のサクセス・ストーリーであり、低予算で作られたが、素朴な感動を与えられ、多方面から絶賛されヒットした作品である。

マイケル(左)とビリー(右)

ジェイミー・ベルは「イギリス北東部のなまりのあるダンスが得意な少年」という条件をクリアして選ばれたという。この作品は、少年映画としては傑作に入ると言っても良いだろう。ひとえに彼の演技のすばらしさゆえである。彼は公開当時「ウィリアム王子と並ぶ、イギリスで最も人気のある十代」と言われたとか。ちなみに当時ウィリアム王子は18歳、ジェイミー・ベルは14歳。その後もテレビや数本の映画に出演した。

最後に、この「ビリー・エリオット」はイギリス映倫の言葉遣いの規定で「15歳以下鑑賞不可」となり、ジェイミー・ベル自身、自分の出演作を見ることができなかったという。しかし、見た人たちから「子供に見せたい」という声が続出したので、その後禁止用語(fuckなど35語)を削除した全年齢向けバージョンが作られたという。日本では、オリジナルで公開されている。



 

マイ・ドッグ・スキップ


2000年、米映画。ジェイ・ラッセル監督。

第二次大戦中の1942年、ミシシッピー州のヤズーという町を舞台にしている。ウィリー・モリスの自伝的作品に基づく。

ウィリー(フランキー・ミューニース)は一人っ子で「グズで弱虫」というレッテルを貼られいじめられていた。

9歳の誕生日に母親(ダイアン・レイン)からジャック・ラッセル・テリアの子犬がプレゼントされる。父親(ケヴィン・ベーコン)は反対であった。

スキップと名付けられた犬とウィリーはすぐ仲良くなり、心を通わせる。スキップのお陰でウィリーは自信がついていき、前向きになる。悪ガキとも仲良くなれ、そして女の子とも。

このように、少年と動物の成長物語の古典としては「子鹿物語」が有名である。時代や背景が異なっていても映画の題材にはもってこいのものである。

ウィリーの父親は戦争で片足を失い義足である。また近所のお兄さんは野球のヒーローで子供たちのあこがれの存在であったが、戦争に行き、精神的に不安定になり、除隊して帰って来るという戦時下にまつわるエピソードが加わっている。

最後に印象的なことばがある。「なぜ子供の頃は時が早く経つように願うのか。皆早く大人になりたがる。でも大人になるとまったくその逆だ」

この作品では、ウィリーが幼年から少年へ、そして少年から青年へと成長し、あわせてスキップも人間の何倍ものスピードで成長する姿が描かれている。アメリカ映画はこうしたファミリー・ドラマをうまく作る。この作品は、単なるファミリー・ドラマを超えて、少年のcoming of ageの物語となっている愛すべき小品である。



 

がんばれリアム


2000年、イギリス映画。スティーヴン・フリアーズ監督。

7歳の少年リアム(アンソニー・ボロウズ)と、彼の純粋な目を通して見た家族や社会を描いたもの。大晦日の夜、大人は酒場で楽しく過ごし、その様子を窓からながめる子供たち。そして家で新年を迎える…1930年代のリバプール、リアムの家庭は決して豊かではないが、笑顔で幸せに5人で暮らしていた。

不況の影響で父の働く造船所が閉鎖になり、父は仕事を失う。その時から家族に笑顔がなくなっていく。父は日雇いの仕事を探すが、アイルランド移民やユダヤ人が自分の仕事を奪っていると思う。

兄の仕事と、姉テレサ(ミーガン・バーンズ)が金持ちのユダヤ人家庭で家政婦をしてわずかな収入しかなく、母は貧乏に疲れていく。

リアムは吃音で、緊張すると思っていることをなかなかうまく言い表せない。学校では先生や神父から人間の罪や地獄の話を聞かされる一方で、宗教画の女性の裸体を見たりしている。ある日、母が体を洗っている姿を見てしまい、絵と“違う”ので驚く。

リアムが聖体拝領を受ける日がやって来る。その日はこれが終わるまでは食事はダメと言われたにもかかわらず、リアムはつまみ食いをしてしまう。それでも何とか終える。父は神父の話をさえぎって教会を批判したり、集会に参加したりする。


リアムはずっとひっかかっていたことを懺悔の時に神父に明かす。「母の体にヘンなものがついていた」と。それが当たり前だとわかりふっきれる。ラストは母にしてあげたように、テレサの髪に櫛を通してあげるシーンで終わる。貧しくとも、家族が支えあって生きていくしかない、ということが静かに伝わる。

リアム役のアンソニー・ボロウズは愛らしく、口をへの字にした表情など印象的だ。



 

El Bola


2000年、スペイン映画。アチェロ・マニャス監督。

El Bola (別名Pellet)とは「球」のことで、12歳の少年パブロ(ホアン・ホセ・バレスタ)のあだ名である。彼は小さな金色のボールをお守りのように持っていて、食事中も手から離さないほどだ。

冒頭、少年たちが線路の中央にペットボトルを置き、列車の通過寸前に双方から横切ってどちらが取れるかという危険なゲームをやる姿が描かれる。

パブロは何か陰のある感じだ。両親、祖母との生活も何かしら冷たさを感じる。転校生アルフレド(パブロ・ガラン)が来て、彼と親しくなり、温かい家庭を知り、パブロは徐々に変わっていく。

パブロの父は細かいところに口うるさい様子しか最初は描かれないが、パブロは父から虐待を受けていたのだ。雨に濡れた服を着替えるとき体のあざをアルフレドは見逃さなかった。パブロは転んだとごまかす。

パブロには、交通事故で亡くなった兄がいる。彼の生まれる前のことだ。遺影は将来を期待される凛々しい少年だ。両親は悲しみをいつまでも引きずっているのか、また父親は、だからこそパブロをしっかりと育てようとするがために、口うるさく厳しくなっているのか。また、実母の世話も妻と息子に任せっぱなしだ。

一方、刺青師の仕事をしているアルフレドの父は温かさがあり、パブロの父と対比して描かれる。パブロの帰宅が遅くなり、怒った父に反発して父からひどい暴力を受ける。パブロはアルフレドの家へ逃げ込む…ここから大きな展開となる。

病院で傷口に注射され、痛みでつい握ったボールを落としてしまう。線路上に置かれたボール、列車が通過してつぶされる。あたかもボールがパブロの分身であるかのようだ。ラストは、多分保護された施設であろう、聞き取りで父から受けた虐待を述べるパブロの姿で終わる。


とかく誇張されたり、感情的になったりする題材を、一定の距離を保って描いている。二人の少年も自然体の演技が良く、佳作に仕上がっている。(右はパブロとアルフレド)



 

ペイフォワード 可能の王国


2000年、アメリカ映画。ミミ・レダー監督。

キャサリン・ライアン・ハイドの原作。

トレヴァー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)が中学1年生の初登校の日から始まる。社会科のシモネット先生(ケヴィン・スペイシー)から「世界を変える方法を考え実行しよう」という課題を与えられる。

トレヴァーは、人から受けた善意をペイバックするのではなく、3人の人に先渡し(ペイフォワード)をする、その人たちはさらに3人に…と、善意や思いやりが広がることを提案する。級友は不可能だ、ユートピアだとか言うが、先生は可能性につなげる。

トレヴァーはまず自分にとっての世界である家族からのスタートだ。母は辛い過去をもちアルコール依存症で、なかなか断ち切れない。父も同様で、母に暴力をふるい家を出ている。

トレヴァーは、ホームレスの男、先生、そしていじめられているアダム(マーク・ドナート)を助けたいと思うが、なかなかうまくいかない。彼が実行しようとしたことは、夢想なのか。

先生と母がうまく行きそうな時に、父親が帰ってくる。改心したようだが、また元に戻り、家を出ていく。トレヴァーは勇気をしぼって、アダムをいじめている連中に向かうが、一人の手にはナイフが…。そして悲劇が。ラストは先生と母に希望が期待される。そしてトレヴァーを悼んで集まる人々。


「シックスセンス」からたった一年であるが、ハーレイ・ジョエル・オスメントの成長ぶりと、チャレンジの姿が見てとれた。思春期の少年らしく、母に反抗したり、家出をしようとする場面もあった。演技にすばらしさが感じられた。

公開時、チラシには「この感動を3人の大切な人へ“ペイフォワード”してみませんか?」と、映画の内容を利用した宣伝が書かれていた。(右はアダム。)



 

ホロコースト:救出された子供たち


DVDパッケージより
(右は「ニコラス・ウィンストンと669人の子どもたち」

2000年、英,米映画。マーク・ジョナサン・ハリス監督。

「All My Loved Ones」(1999) というチェコ=スロヴァキア映画があった。

裕福なユダヤ人家庭で育った少年が、親と別れイギリスへと送られる場面で終わる。ユダヤ人はじめ約1万人の子供たちが救出された史実があった。

同じチェコ=スロヴァキア映画で「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」(2011)というドキュメンタリーが作られた。

ニコラスはキンダートランスポートの活動を行い、子供たちを救出したが、活動は1939年の大戦勃発で中止になった。

彼の行為は家族にも語られず、妻が見つけたスクラップブックで偉業が明らかになる。英BBCはニコラスと子供たち(といっても50年経過して高齢になっていた)のサプライズの再会が果たされた様子を記録し、その奇跡の瞬間は感動ものであった。

前置きが長くなったが、「ホロコースト:救出された子供たち」はアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品である。キンダートランスポートで生き延びた子供たち数人が過去を振り返りながら語り、当時の実写フィルム、ニュース映画、新聞記事等を入れて、まさに真実のもつ強みに圧倒される。

英国で17歳までの子供たちを受け入れると決定し、前述のニコラス・ウィントン氏も救済計画担当者として登場する。当時、アメリカにもこの話を持ちかけたが、2万人を受け入れるという法案が委員会で否決され、その理由の一つに、子を親から離すことは神の法に反するといったことからだという。

当時、ユダヤ人の親は子供だけでも助かってほしいと決心するが、子供たちにとっては、親から捨てられると思ったりしたという。そして小さい子ほど養子に迎えられ、大きい子は家政婦として働かされたり、収容所暮らしをしたりしたようだ。

当時のことを思い出しながら語る彼らには、こうした辛い運命をたどりながらも、生き延びた幸せがある。最後のクレジットでホロコーストで死んだ子供たちは約150万人と出て、驚きを新たにする(ユダヤ人の他にロマの子供、さらには精神障害等のドイツ人の子供もいたという)。

そして彼らも、戦後二度と親に会えずに終った人もいれば、親と再会し、生みの親と育ての親と両方ともいる人もいる。歴史的事実を知る上で必見作である。




 

約束 ラ・プロミッセ


2000年、フランス映画。ドニ・バルディオ監督。

病気の少年と寝たきりのお年寄りの温かさに包まれたおとぎ話である。

小児ガンの10歳の少年マーティ(ジョナサン・ドゥマルジェ)は、病院内でスケボー遊びをしたりして退屈しのぎをしている。高齢者病棟に行き、いたずらや悪さをする。

寝たきり老人のベラン(ミシェル・セロー)の部屋に入るが、彼は体を動かすことも話すこともできず、アルツハイマーの診断を受けている。ベランはマーティをうとましく思うが、そのうち心を通わすようになる。

さらにベランにとって生きる意欲につながるのではと、同室のベッドでマーティは過ごすようになる。ベランのまばたきで「ウイ」と「ノン」を理解するようになる。

そのうちベランの妻に先立たれ、マーティだけが心の支えになる。マーティが具合が悪くなり、部屋に戻らない時は心配でしょうがなくなる。

この作品のクライマックスがすばらしい。クリスマスの夜、マーティはベランを車椅子に乗せて抜け出し、かつての仲間のところに連れていく。また、翌日は浜辺で過ごし、生きている今を実感し、明日への生きる意欲を新たにするところだ。

病人を扱っているからと決して暗くなく、逆にユーモアもあり、監督の遊び心もある。


マーティ役のジョナサン・ドゥマルジェ(1988年生まれ)は、いたずらっ子全開であるが、ベランを心から慕う姿が良かった。ベラン役の老人はしゃべったりできず顔や目の表情で意志を伝えなければならず、ミシェル・セロー(1928〜2007)はさすが仏映画界の重鎮として貫禄があった。



 

A Rumor of Angels


2000年、アメリカ映画。ピーター・オファーロン監督。

母を亡くした少年、息子を亡くした初老の女性、何か互いに引かれあうように友情を築いていく…

マディ役のヴァネッサ・レッドグレイブの存在感は大きい、そして彼女と対等で主人公のジェームズを演じるトレヴァー・モーガン(1986生)が達者な演技を見せてくれた。

ジェームズは父と継母のメアリーと暮らしている。母は2年前に車の事故で亡くなり、今でもそれがトラウマとなっている。

ジェームズが自転車でフェンスにぶつけて壊したことでマディは抗議にくる。父と修理に行き、次はペンキを塗るようにと、まるで『トム・ソーヤー』だ。ジェームズとマディでペンキ塗りをしていくうちに、心を通わせていく。

ジェームズが彼女が不在のときに部屋に入り、戻ったマディは思わず「ボビー!」と息子の名を呼ぶ。1974年ベトナム戦争で亡くなったという。

二人で自転車で出かけ、橋の所でジェームズは固まってしまい悲しみにくれる。母が事故死した現場であり、フラッシュバックに襲われる。マディはジェームズを抱きしめて慰める。回想で当時のジェームズをコリン・ロジャーズが演じていた。バックに流れるモーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』が切ない。

両親は、これ以上息子に関わらないでほしいとマディに言う。マディは海岸で心臓発作を起こして倒れ、ジェームズが助ける。ジェームズは父に母が亡くなった時に真剣に向き合い、話そうとしなかったと言う。

これが彼の心にひっかかっており、穴があいたようになり、父にも新たな母にも心を十分開かなかった。その代償がマディであったのだ。ボビーの日記として彼女が書いた一節を読んであげているうちに、マディは息を引き取る。

ジェームズの成長物語としても良くできた作品である。ひとまわり成長したジェームズは、これから両親と幸せに暮らすだろうという期待が、灯台の灯りのモールス信号が代弁してくれる。こうした良心作が未公開なのは惜しい。


                                       幼いジェームズ



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