(第1集)なつかしい入場券(その1)


前売り券ならともかく、窓口で買った入場券は、とかく捨てられたりする。
今や劇場ごとに入場券は違うが、入場税が課せられていた頃は日本政府のものが全国で使用された。
60〜70年代前半のものを羅列する。

戦中、戦後は入場税の税率は高かったが、「1959年 8月以降、入場料金70円以下を10%、100円以下を20%、101円以上に30%課税。その後1962年4月、税率は一律10%となり、30円以下は非課税であった。1973年4月、税率は1000円超10%、1000円以下5%になった。」(斉藤守彦「映画館の入場料金は、なぜ1800円なのか」ダイヤモンド社、より)

旭川国劇名画座
これも旭川


     


スカラ座
みなし料金=無料のこと


       


機械発券の入場券(渋谷全線座)
道新ニュース劇場(1968.5.26閉場)



 

(第2集)なつかしい入場券(その2)


1975年4月から、入場料金1500円までは無税、それを超えれば10%課税となり、しばらくの間1500円以内の料金が続いた。それで、それぞれ入場券を作ることになった。旧のものを真似たもの(下の早稲田松竹のデザインのものが全国的にその後ずっと使われた)、興行会社が作ったもの、劇場独自のもの、とさまざまになった。

そして、大きな劇場では、だんだんと機械発券のものになってきた。
入場税は、その後1985年に2000円までは無税となり、1989年に消費税の導入により入場税は消滅し、一律に課せられることになり、例えば1500円のままなら当時3%の税率なので45円が税となるので、便乗的に1600円に値上げしたところが多かったという。ここでは、90年代中頃までのものを羅列する。

最後の中野武蔵野ホールのものは、印字が薄いが、コンビニのレシートのようで驚いた。

須貝興業
ニコー劇場(昭和50年)
帝国座(昭和52年)


テアトルボー
帝国座
早稲田松竹(昭和55年)


本間興業(昭和53年)
JABB 70HALL


みゆき座(平成4年)
シャンテシネ(1994年)
シアターキノ(平成7年)


テアトル新宿(平成6年)
中野武蔵野ホール(1994年)



 

(第3集)外国の入場券


海外の映画館の入場券のコレクションです。

スイス ジュネーブ Le STAR劇場
1974
スイス ジュネーブ ABC劇場
1974
オーストリア ウィーン Metro劇場
1974 2枚で席指定(左6列1,2席)


イギリス ロンドン Warner
Rendezvous劇場
1974 席指定Q列9席
イギリス ロンドン
Dominion劇場 1974
イタリア ヴェネチア Nazionale劇場 1977


フランス パリ
Le Vendome 1977
オランダ アムステルダム Centraal劇場 1977
ベルギー ブリュッセル
Eldorado劇場 1977


イギリス ロンドン
Pavilion劇場 1977
オーストリア ザルツブルク
Das Kino劇場 1981
アメリカ ポートランド
Rose Moyer劇場(シネコン)
1995


アメリカ ポートランド
Lloyd Mall 1995.1.13
(番外)稚内米空軍基地内
Richardson劇場 1966



←普通は基地内には入れないが、高校生交流で訪問した時に
 ホストファミリーの息子と鑑賞。
 大人35セントは、当時120円くらい。今は基地はない。




 

(第4集)映画関係のサイン


音楽のコンサートならともかく、映画はあまりサインをもらう機会がない。わずかであるが、これまでもらったものを紹介する。


映画『少年』(1969年 大島渚監督)

小山明子さんのサイン(1969.11.12、札幌道新ホール)
当日大島監督も舞台挨拶をしたが、サインは夫人だけであった。



 


映画『ペレ』(1987年ビレ・アウグスト監督)

主演の少年ペレ・ヴェネゴーに感想を書いて、映画の製作会社気付けで出したら、本人直筆の手紙と写真が送られて来た。

サイン部分を拡大したもの



映画『赤目四十八瀧心中未遂』
2003年、荒戸源次郎監督
監督と主演の大西滝次郎さんのサイン。
(2004.3.27、ポレポレ東中野)
  映画『からっぽ』(2012年草野翔吾監督)
(2012.7.22、札幌シアターキノ)
右はサイン部分を拡大したもの


映画『愛してよ』福岡芳穂監督のサイン入りポスター
(2006年、シアターイメージフォーラムのプレゼント)
      映画『ずぶぬれて犬ころ』(2018)の本田孝義監督のサイン
(2019.9.6 札幌シアターキノ)

映画『こちら、あみ子』森井勇佑監督と
二人の子役(大沢一菜、大関悠士)のサイン
(2022.10.1、柏キネマ旬報シアター)
映画『ほかげ』塚本晋也監督のサイン
(パンフレット表紙に)
(2023.11.26、柏キネマ旬報シアター)



 

(第5集)邦画各社オープニング・タイトル(その1)


映画のトップに社名タイトルが出る。関係者には「わが社の映画」という誇りを感じるシーンである。時の流れで変化しているものと、白黒、カラーの違いくらいで長い間伝統を守っているところとさまざまである。かつて大手5社のタイトルと、その他独立プロを含めて紹介する。

1.松竹映画編

蒲田映画時代 1936年
富士山の原形が 「信子」1940年
まだ富士山ではない 1947年

富士山登場。白黒 1954年
『黄色いカラス』1957年
富士山。カラー

富士山。シネスコ版
富士山。字体を変更

富士山。カラー
デフォルメされた富士山。

『風の中の子供』1937年
クロースアップされた富士山
『晩春』1949年

アニメ作品
蒲田映画1931年             蒲田映画1932年            蒲田映画1933年



2.東宝映画編

『ハワイ・マレー沖海戦』1942年
戦後、間もない頃
戦後、間もない頃
このデザインがずっと続く
白黒 シネスコ・サイズ
カラー シネスコ・サイズ
カラー ビスタ・サイズ
TOHOスコープ・サイズ
字体が異なるもの
『怪獣総進撃』1968年(輸出用)
『モスラ3』1998年(輸出用)



3.東映映画編

教育映画のシンプルなもの
有名なもの 白黒
カラー
白黒 シネスコ

『カツベン!』2019年
わざと古くさくしている
『犬鳴村』2020年
血飛沫が当たる、日本映画には珍しい遊び

第二東映『第三次世界大戦 41時間の恐怖』1960年
ニュー東映『宇宙快速船』1961年



 

(第6集)邦画各社オープニング・タイトル(その2)

4.大映映画編

戦後、間もない頃
白黒
戦中の作品
白黒 シネスコ・サイズ
カラー
カラー シネスコ・サイズ
カラー シネスコ・サイズ



5.日活映画編

日活多摩川
白黒
カラー版
白黒 シネスコ・サイズ
カラー(色が判りにくいですが)
白黒(日活京都撮影所)
1970年、大映と日活が配給機構を合併したダイニチ映配(シネスコ)
日活100周年
新しいタイトル



6.その他

新東宝
新東宝
新東宝
第一映画
近代映画協会
全農映
角川映画
角川映画
角川映画






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